副院長の姿も見えなかった。おそらく医局で診察に追われているのであろう。
この暑い日盛《ひざか》りを、当てもなく歩いても仕様がないと思っていた鷺太郎は、結局一日をぽかんと暮してしまった。
ただ、その間、あの殺人の事件は、早くも看護婦の間にも拡まったらしく、盛《さかん》に噂は聞くのだけれど、可怪《おか》しなことには、その殺された美少女の身元は勿論、名前さえも、杳《よう》として不明であったのだ。
それは朝刊にも、又、早くも届けられた、インクの匂いのぷうんとする夕刊にも、不明とばかり報ぜられていた。
それは実に不思議なことだった。
あれほどの美少女が殺されながら、そして、新聞に写真まで出され、警察でも必死の活動をしているのであろうに、更にわからなかった。
被害者の身許もわからない、ということは、今の捜査法では手のつけられぬ難物なのである。
この豪華なK――海浜都市で行われた殺人の、その類《たぐい》まれなほどの断髪洋装の(その身なりから見て、中流以上の者であることは、想像されたが)美少女の身許が、まるで木の股から生れたものであるかのように、全く解らない、というのは実《じつ》もってお
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