から又やって来た、という時間があるかい』
『ないね。その時間はたった二三分だった。山鹿の家まではそこから急いで片道十分はかかる――』
『ふーん』
 春生も黙ってしまったが、遉《さすが》の畔柳博士も、万能探偵ではないと見えて、こんどは黙々として鷺太郎の話ばかりを聞いていた。
 夏の夜だというのに、ひどく冷《ひや》っとする風が吹いて来た。もう、暁方《あけがた》が近いらしい。
 三人は顔を見合わすと、腫《はれ》ぼったい瞼《まぶた》を上げて、
『なんだかぼんやりして来た、一と寝入りして、ゆっくり考えよう……』
 と呟《つぶや》くようにいった春生の言葉に、黙って頷《うなず》いた。

      六

 翌日――。
 真夏の太陽は光々と輝いて、サナトリウムの全景は、まばゆいばかりの光線に満たされ、鷺太郎がベッドに寝ころんだ儘《まま》、ゆうべのことをあれこれと考えていると、ジーッ、ジーッと圧迫されるような油蝉《あぶらぜみ》の声が、あたり一面、降るように聴えていた。
 先程《さきほど》、春生が一泳ぎして来る、と行ったきり、なかなか帰って来なかった。春生も矢張りあの疑問が解けずにいるらしいのだ。
 畔柳
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