さに、心を搏たれてしまったのだ。

      四

 軈《やが》て、はっと我れにかえった鷺太郎は、思い出したように、
(警察へ――)
 と気づくと、大急ぎで、又崖を馳上り、夜道を巡査派出所の方へ馳けはじめた。
『白藤さん……じゃないですか』
 と、行く手の方から、ふらりふらりやって来た男が、擦れちがいざま、名を呼んだ。
 彼は、名を呼ばれて、ギクンと立止った。
『あ、やっぱり――。どうしたんです。馬鹿にあわててるじゃないですか』
『え?』
 そういった男の顔を覗き込んだ鷺太郎は、
(あっ――)
 と、も少しで叫ぶところであった。
 その男が、あの山鹿十介なのだ。
 山鹿十介は、浴衣がけに下駄ばき、おまけに、釣竿までかついでいた。
『どうしたんです、一体……』
 相手は至極《しごく》落着いていたが、鷺太郎は、しばらく返事の言葉が思いつかぬほどだった。
 タッタ今まで、山鹿だと思っていたその本人が、いまここに、怪訝《けげん》な顔をして突立っているではないか。
(それでは、あの白服の山鹿十介は何処へ行ったのだ――)
 山鹿の別荘から出て来たのは慥《たしか》だけれど、尤《もっと》も考えてみれ
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