にげだ》してしまっていた方が、寺田にとって、どんなに幸福だったかしれないのだが……。
「暗いだろう。ドアーの傍にスイッチがあるから、点けてくれたまえ――」
又、次の部屋から、水木の声が、聴えて来た。
だが、寺田は、その声を聞いても、まだ返事が出来ずに、それでも不甲斐なくガタガタ顫える手で、周章《あわて》て壁を撫《なで》廻すと、やっとスイッチを見つけて、力一杯に捻《ひね》った。
パッとかすかな音がして、部屋の中はくらくらするような光線に満たされると、洵吉が、二三度瞬きしている間に、あの空間に浮動していた巨大な手や、足や、唇どもは、壁に貼られた、それぞれの引伸ばし写真の中に吸い込まれて、「知らん顔」をしているのであった。
(ナンダ写真だったのか)
寺田洵吉は、これが水木の、悪趣味な写真だったのか、と見極《みきわめ》がつくと、やっと、※[#「口+息」、133−9]《ほ》っとした気持ちになったが、それでもまだ胸の動悸が頭の芯に、ジンジン響くのを意識しながら入口のところに突立っていた。
――そうして待つ間、思出すともなく、浮んで来たのは、中学生時代の水木舜一郎のことだった。
洵吉の記
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