話合った揚句《あげく》、春日は、
『ネネさん、一刻を争いますから僕が血を提供して輸血します』
『え? あたしも、あたしの血も採って……』
 ネネは、この春日の、思いがけぬ義侠的な言葉に、却《かえ》ってひどく狼狽《ろうばい》したようであった。
 村田氏は構わず春日とネネの耳朶《みみたぶ》から一滴ずつの血を載物硝子《さいぶつガラス》の上に採ると、簡単な操作を加えてから、
『秋本さん、あなたのは合いません、春日さんのは幸い合っていますから春日さんから輸血させて戴きます……』
『さ、すぐやって下さい』
 春日は、平然としていった。
 ネネは、感極《かんきわ》まったように、手を堅く握りしめて胸のところに合せた儘《まま》、眉一つ動かさぬ春日の横顔を見守っていた。
 私は、春日の血液が、様々な硝子器具を通って、木島の体へ送られて行くのをじっと見乍《みなが》ら、フト、
(春日はジフィリスだったが……)
 と思った、と同時に、愕然《がくぜん》とした。春日は今、ネネの眼の前で復讐をしつつあるのだ。彼からネネを奪った男の体に、忌《い》み嫌われた細菌の群が、真赤な行列をつくって移されているのだ……。
 それを
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