あった。
 そして、「まさか……冗談でしょう」といいたげな彼の気持を、十分に感じた私は、猶《なお》も眼をつぶった儘、二三度頭を振って、
『結婚したんですよ、本当に――。その為に私は失恋《ふら》れたんです。ご存知かも知れません、木島三郎という男のところへ行ったのです』
『ああ、木島。東洋劇場の支配人……だった』
『そうです。若くて、金があって、しかもいい地位にいる、あの男です。私は残念ながら、ネネを最後まで満足させることが出来なかったんです、ネネは大勢の人々に讃美|渇仰《かつごう》される為には、何物も惜しまぬ女ですからね。ネネは例えば心の底では一人の男を愛してはいても、それが守って行けない女なのです。彼女は本当に都会の泡沫《あわ》の中から現われた美しい蜉蝣《かげろう》ですよ、ネネは、その僅《わず》かな青春のうちに、最も多くの人から注目されたい、という、どの女にもあるその気持を、特に多分に、露骨に持っただけなんですね。
 あの、華やかなスポットライトに浮び出た彼女の厚いドーラン化粧の下にも、その焦燥が痛々しく窺《うかが》われるではありませんか。私はその気持を、ネネの撓《たゆ》まぬ向上心だと
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