作曲した歌を唄うと思っているんですか、僕が、僕がすべてを抛《なげう》ってこんなに苦しみ通しているのは誰の為にだと思うんです、彼女、彼女のために、ですよ、彼女は実に素晴らしい声を持っているんですぜ、その合成ゴムに於《お》ける弾力とかいう奴を、彼女は十二分に持っているんです……全然、あなたの危惧《きぐ》ですよ、
僕がすべてを抛って悔まぬ彼女、それは、最近だいぶ方々《ほうぼう》に名が出て来たようですが、非常に素質のいいステージシンガーです、――レコードにも相当吹きこんだようですから、或《あるい》は知っていられるかも知れません――、秋本ネネという、まだ二十歳《はたち》の女ですが』
『えッ』
私は愕然《がくぜん》とした。まったく、その時は、自分でも顔色がサッと変ったのを意識した――。私を、こんな失意の底に投込んでしまったその女、ネネが、この変屈者の愛人であるとは……。
然《しか》し、そうすると、今、木島と同棲《どうせい》している彼女は、私と同様、矢張りこの男のことをも忘れてしまったのであろうか。
(渡り鳥のようなネネ!)
私は眼をつぶった。そして、
(そうかも知れぬ)
と、口の中で呟《
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