失業の苦しみが、芯の髄《ずい》まで沁みていた……というよりも、職に離れると同時に、あの、獲《え》たばかりの美しき野獣――京子に、別れなければならぬ。と考えれば、辞職するなんて、滅相《めっそう》もないことだ。
(京子――そうだ、これから行って見よう)
 源吉は、大事な忘れ物でもしたように、ピョコンと飛起きると、頭の中を、全部京子に与え乍《なが》ら足早に歩き出した。

      三

 京子は、カフェー松喜亭《しょうきてい》の女給だった。「鄙《ひな》には稀《まれ》」とは京子のことではないか、こんなところに燻《くすぶ》っているのは、何か暗い影がありはしないか――と余計な心配を起させる程、優れた美貌の持主だった。
 源吉等の詰所でも、一日として話題の中に、京子が登場しない日はなかったろう。
 源吉としては、その皆んなにちやほや[#「ちやほや」に傍点]される女王のような京子が自分に好意を持ってくれる、と知った時は、圧倒されるような喜びに、却ってそわそわと狼狽《ろうばい》したほどだった。
 これは源吉の自惚《うぬぼ》れでもなんでもなかった。京子は、明かに彼に好意を持っていたのだ。それは源吉の持出
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