、美の探窮場として、建てられたのが景岡浴場でした――。
×
従って、景岡浴場というものが、どんな構造になっていたか、大体御想像がつかれる事と思います。
二
景岡秀三郎は、学生時代に、三助になろうか――と、真面目に考えた事がありました。然し、それは到底実現出来ない話です、というのは、他人の裸体に対して激しい魅惑を感ずれば感ずるほど、自分の裸体に底知れぬ嫌悪を覚えるからです。
美しい裸体の群像の中に飛込むこと――、それは限りなき蠱惑です。だが、自分も褌一つの裸に……、それは到底出来得ない事です。景岡にとっては、自分の裸体を衆目に曝《さら》すより、死の方が、どれほど易々[#「易々」に傍点]たることだったか――。
自分は姿を隠していて、それでいい裸像群の隅々までも、見られるような――。これが景岡の胸の中に醗酵した『景岡浴場建設趣意』でした。
そして、それが何人の掣肘もなく、どんどん出来上った舞台は、一口でいえば硝子箱の浴槽を持った、非常に明るい浴場でした。
景岡は、この硝子箱の浴槽、というのを恰度その頃開催していた某博覧会の『美人|海女《あま》、鮑取り実
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