あわせながら、水銀柱を透かして見た。
(六度、とちょっと……)
 呟いた。
(気分がいいぞ――)
 足の先でスリッパを捜《さぐ》ってつっかけ[#「つっかけ」に傍点]た。
「どれ――」
「ほら、あんな高いとこよ」
 マダム丘子の透通るような白い腕が、あらわに伸べられて、指の先きに歯刷子がゆれた。
 私は、丘子の透き出た静脈の走る二の腕から、強《し》いて眼をはなして崖を見上げた。
「ほお、なるほど……」
「あの花粉――っていうの魅惑的ね、そう思わない……露に濡れた花粉だの蕊《しべ》だのって、じーっと見てると、こう、なんだか身ぶるいしたくなるわ……ね」
「そお……」
 私は爛熟し切って、却って胸の中がじくじくと腐りはじめたのであろう丘子の、裸心にふれたような気がした。
 マダム丘子はハデなタオルの寝衣を着ていた。それはパジャマではなかったが、断髪の丘子に却って不思議な調和を見せていた。
「お先きに――」
 マダム丘子は光った廊下をスリッパで叩きながら洗面所に消えた。
 私はその寝癖のついた断髪の後姿からヘンなものを感じて、部屋に這入《はい》ると邪慳《じゃけん》に薬台の抽斗《ひきだし》を開け、
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