私たちは無言であった、さっきここで大喀血をしたマダム丘子の姿を思うと、食慾はさらになかった。
「青木さんは」
 雪ちゃんに訊いてみた。
「さあ、さっき横臥場へいらしたきりお見えになりませんけど……」
(青木の奴、飯なんか喰いたくないだろう)
 と同時に、
(マダムの部屋に行ってるのかな)
 一生懸命額を冷してやったりして看護している彼の姿を想像して「フン」と思った。
 私たちがもそもそと味気ない夕食を済ましてしまっても、遂に青木は姿を見せなかった。主のないお膳の吸物からは、もう湯気さえ上らなかった。
「雪ちゃん、青木さん知らない」
 主任看護婦が廻って来てそういった。
「いいえ、お部屋じゃなくて」
「お部屋にも、マダムのとこにも、まるで見えなくてよ」
「散歩かしら」
「それにしても、長すぎるわ……」
 二人はひそひそと囁きあった。
「青木さんいないんですか」
 私も口を挟んだ。
「ええどうなさったんでしょう――困ったわ……」
 その時私は、なんともいえぬ不吉な予感を覚えた。
「変だナ……」
「どうしたんでしょう……」
 主任看護婦はこの二階のサン・ルームの手摺から乗出すように、暮れ
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