中には、柔らかな翳《かげ》を持った溝が、悪魔の巣のように走り凹《くぼ》んでいるのが、これ見よがしに眺められた。私は気のせいか視線がすーっと萎縮するのを感じて、あわてて二三度瞬きをした。その時、隣りに掛けていた青木の、荒い息吹きをも感じた。
       ×
 診察がすむと、私たち四人はその儘、横臥場へ行った。横臥場はサナトリウムのはしにあって、ポプラだの藤だのの下に葦簾《よしず》を張り、横臥椅子をずらりと並べてあった。そこに横になると、恰度目の前にサナトリウムの赤い屋根が、初夏の澄みきった蒼空をバックに、極めて鮮やかに浮出して見えるのであった。
 私達はしばらくそこで目を潰《つぶ》っていた、目をつぶると、まるでここが深海の底でもあるかのように、何んの音もしなかった。ごくまれに、むくむくと太った※[#「蠢」の「春」に代えて「亡」、第3水準1−91−58]《あぶ》が、鈍い羽音を響かせながら、もう結実しかけた藤の下を、迷い飛ぶ位のものであった。南風が潮の香をのせてやって来た、それは青々とした海原の風であった。
 ……暫らく目をつぶっていると、フトどこかで忍び笑うような気がした。眼だけ動かして
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