であるべきと思へるに、このささやかなる一巻《ひとまき》とても、おのづから父が歌の片端《かたはし》を世に出《いだ》すよすがとはならざらんや。はた、すくよかに世にいませる父が晩年の友垣教へ子なりし人人の、そのかみをしぬび給ふ助縁ともなりなんかし。
一、寛ひそかに思へるは、父が歌の今日まで世に聞ゆる所なきは如何にぞや。こは父の性格が、老年期の初までは新思想の人にして、進取の気概に富まれたるにかかはらず、その後は反りて世外に独処し、念仏風雅の閑適を楽みて、一生の行事のすべて世の耳目に触るるを避けられしに因るならん。さはれ、晩年に詠まれたる述懐の諸作を覗けば、おのづから世を恨み己を果敢なみ給ふ声の、惻惻として霜夜のこほろぎにもたぐへつべきが打まじれり。身は老いかがみて、比叡の麓の清水に漱《くちそそ》ぎ、歌の中山の松風を枕とし給ひながらも、終に寒岩枯木の人とはなりおほせ給はず、一片の壮心掩はんとして掩ひ難くやありけん。「折にあへば如何なる花か厭はれん時ならぬこそ見劣りはすれ」、「憂きことよ猶身に積れ老いてさへまだ世に飽かぬこころ知るべく」、かかるは如何でか無為空寂をよろこぶ世捨人《よすてびと》の歌
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