たし、そんな事は知らないでせう。待つて待つて、泣いて、阿母さんに叱《しか》られたのよ。』
『泣くなんて、可笑しいなあ。』
『でも、貢さんが嘘《うそ》をつくんですもの。』
『嘘《うそ》をつくものか。僕は行きたかつたけれど。』
『あたし、先刻《さつき》から喚《よ》んでたのに、あなた何処《どこ》に入らしつたの。』
『さう、先刻《さつき》から喚んでたつて。僕、聞えなかつた。』
『お昼寝《ひるね》でせう。』
『昼寝なんか為《し》ない。』
『お雲隠《はゞかり》。』
『晃《あきら》兄《にい》さんと話してたんだ。』
『晃《あきら》兄《にい》さんが入らつしやるの。』
『ふん。』
 お濱さんは、一寸手で桃割を撫でて、頬を赤くしながら、
『貢さんは矢張《やつぱり》嘘《うそ》を御吐《おつ》き為さるのね。晃兄さんが入らつしやるのに、留守番だなんて。』
 と云つた。貢さんは困《こま》つたらしく黙つて俯向《うつむ》いた。此時|前《まへ》の桑畑の中に、白い絣《かすり》を着て走《はし》つて行く人影《ひとかげ》がちらと見えた。
『あら、あたし、ちよいと用があつてよ。』
とお濱さんは云つて、不意に駆け出した。貢さんも急いで
前へ 次へ
全34ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング