たが、思切《おもひき》つて引くと、荒い音も為《せ》ずにすつ[#「すつ」に傍点]と軽く開《あ》いた。
『あツ。』
 貢さんが覗《のぞ》いたのは薄暗《うすぐら》い陰鬱《いんうつ》な世界で、冷《ひや》りとつめたい手で撫でる様に頬《ほ》に当《あた》る空気が酸《す》えて黴臭《かびくさ》い。一|間程前《けんほどまへ》に竹と萱草《くわんざう》の葉とが疎《まば》らに生《は》えて、其奥《そのおく》は能く見え無かつた。
『何処《どこ》に居るの。晃《あきら》兄《にい》さん。』
『仏《ほとけ》さんの前の蝋燭《ろふそく》に火を点《つ》けてお出で。』
 貢さんは兄の命令通《いひつけどほ》り仏前《ぶつぜん》の蝋燭を取つて、台所へ行つて附木《つけぎ》で火を点《つ》けて来た。
『晃《あきら》兄《にい》さん、中《なか》は汚《きた》なか無くつて。』
『其処の直ぐ下に阿母さんの穿《は》きなさる草履があるだらう。』
 蝋燭をかざして根太板《ねだいた》の落ちた土間《どま》を見下すと、竹の皮の草履が一足《いつそく》あるので、其れを穿《は》いて、竹の葉を避《よ》けて前に進むと、蜘蛛の巣が顔に引掛る。根太《ねだ》も畳《たヽみ》も大方《
前へ 次へ
全34ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
与謝野 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング