に草庵《さうあん》を構へ、此の岡崎から発足《はつそく》せられた旧蹟だと云ふ縁故《ゆかり》から、西本願寺が買取つて一宇を建立《こんりふ》したのだ。其時|在所《ざいしよ》の者が真言《しんごん》の道場《だうじやう》であつた旧地へ肉食《にくじき》妻帯《さいたい》の門徒坊《もんとぼん》さんを入れるのは面白く無い、御寺の建つ事は結構だが何《ど》うか妻帯を為《な》さらぬ清僧《せいそう》を住持《じうぢ》にして戴《いたゞ》きたいと掛合《かけあ》つた。本願寺も在所の者の望み通《どほり》に承諾した。で代々《だい/″\》清僧《せいそう》が住職に成つて、丁度|禅寺《ぜんでら》か何《なに》かの様《やう》に瀟洒《さつぱり》した大寺《たいじ》で、加之《おまけ》に檀家の無いのが諷経《ふぎん》や葬式の煩《わづら》ひが無くて気|楽《らく》であつた。
所が先住の道珍和上《どうちんわじやう》は能登国《のとのくに》の人とやらで、二十三で住職に成つたが学問よりも法談が太層|巧《うま》く、此の和上《わじやう》の説教の日には聴衆《きヽて》が群集《ぐんじふ》して六条の総会所《そうぐわいしよ》の縁《えん》が落ちるやら怪我人が出来るやら、
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