裡《くり》も何時《いつ》の建築だか、随分古く成つて、長押《なげし》が歪《ゆが》んだり壁が落ちたり為《し》て居る。其れを取囲《とりかこ》んだ一町四方もある広い敷地は、桑畑や大根畑に成つて居て、出入《でいり》の百姓が折々《をり/\》植附《うゑつけ》や草取《くさとり》に来るが、寺《てら》の入口の、昔は大門《だいもん》があつたと云ふ、礎《いしずゑ》の残つて居る辺《あたり》から、真直《まつすぐ》に本堂へ向ふ半町ばかりの路は、草だらけで誰《だれ》も掃除の仕手が無い。
檀家の一軒も無い此寺《このてら》の貧乏は当前《あたりまへ》だ。併し代々《だい/″\》学者で法談《はふだん》の上手《じやうず》な和上《わじやう》が来て住職に成り、年《とし》に何度《なんど》か諸国を巡回して、法談で蓄《た》めた布施《ふせ》を持帰つては、其れで生活《くらし》を立て、御堂《みだう》や庫裡《くり》の普請をも為《す》る。其れから御坊《ごばう》は昔願泉寺と云ふ真言宗《しんごんしう》の御寺《おてら》の廃地であつたのを、此の岡崎は祖師|親鸞上人《しんらんしやうにん》が越後へ流罪《るざい》と定《きま》つた時、少時《しばらく》此地《こヽ》
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