フ友達の席です」と云つて拒んだ。
黄昏の燈火に満ちた巴里の街を離れてから、次第におれの心は淋しくなつて来た。妻をマルセエユまで送つて行つた帰りにリヨンから巴里へ乗つた夜汽車の淋しかつたことなどが思ひ出された。今日あたり妻が神戸へ着く頃だと思つては疲労した妻の青ざめた顔や母を迎へて喜ぶ児供等の顔が目に浮んだりもした。
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――この女との関係がいつか在留して居る同国人の耳に入つて、あの連中の口から妻の耳に入る日が来るだらう。妻が 〔HYSTE'RIQUE〕[#「〔HYSTE'RIQUE〕」は底本では「〔HYSTRE'IQUE〕」] な気分から先に日本へ帰ると云ひ出した時、おれが容易《たやす》く其れを賛成して帰してしまつたことを、妻はその時既にこの女との関係がおれにあつたからだと思ふかも知れない。この女と初めて知つたのはまだ半月以前のことだ。仏蘭西座の看棚《ロオジユ》で偶然新作の BAGATELLE を一所に観て言葉を掛け合つて以来のことだ。そんなことを云つたつて何にもならない、之は動機の問題ぢやなくて結果の問題だ、妻に対して抗弁しようと考へたりするのが抑も愚だ。その時が来たら何もかも一切ぶちまけてしまふことだ。
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おれはこんなことを思つたが、また
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――体この女は何んだ。PASSY に住んで居ると云ふだけで、くはしいことは自分から話すまで問はないで居て下さいと云つた。もう巴里に一年近く居るおれは大抵人間の階級の見当が附き相だ。けれどこの女の身の上は解りかねる。若しやと想ふこともあるが、それでは事実が余りに ROMANESQUE だ。おれと仏蘭西の NOBLESSE、そんな夢幻劇が型のやうに仕組まれやうとは考へられない。まあ暫く夢遊病者《ノクタンビユウル》になつて夢に引きずられて居やう。そのうちに女の正体が解つて来るだらう。けれど矢張気に掛けずには居られない。女はおれを何と想つてるのかしら。女はダンヌンチヨが黒奴や其他の野蛮人を下部《ギヤルソン》に使つて得意になつて居ると云ふことを話した。女はおれを黒奴の下部《ギヤルソン》あつかひにして居るのかも知れない。おれがあの女の後ろからこの荷物《パツケ》を持つて供して居るのは黒奴でなくて何んだ。
おれはこんなことを考へて気を引き立てたり滅入らせたりして居た。それから
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