室の中で、部長はソファに埋って、昨夜の不足な睡りを補っていた。
「あの、前川ですが……」
「うう、……ああ、あんたかね。さ、其処《そこ》へ掛けなさい。」
 流れかかった涎《よだれ》を慌てて吸い上げると、部長は赤く禿あがった額をてれくさそうに永いこと拭いた。
「何か御用事でも……」
「今、今話すがね。まァ、悠《ゆっ》くりと寛いだ方がいいじゃないですか。さ、もっとこっちへいらっしゃい。温かいところへ……」
 ――成程、慣れたもンだな。この手で事務員達をものにしてたンだな。フフン――
 槇子は、白髪染で染たらしい黒すぎる部長の髪を、睫毛《まつげ》の先きで軽蔑した。
「あの、只今利札の方が大変忙しいんでございますけど……」
「何月渡しの利札だね。」
「勿論、十二月でございます。」
「大東製糖も確か十二月だったな。七十八回の五分利国庫……」
「大東でしたら年四期、十月に切ってしまいました。多分東洋製糖のお間違いでございましょう。」
「そ、そうだったな。私は近頃ひどい健忘症になってね。どうも仕事が煩雑過ぎて多忙をきわめる。何とかせんといかんわ。……ところで前川さん、私の呼んだ用件というのはその、何
前へ 次へ
全15ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
矢田 津世子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング