か。愛情を堰止める何かだろうか。しきりと母の顔が脳裡にちらつくのはどうしたものだろうか。――紀久子の思いはこんな風にとつおいつしていた。

     五

 以前には億劫がって夜分はめったに外へ出たことのない父が、この頃はおきえさんをつれてよく寄席へ出かけるようになった。時たま、飯尾さんも誘われる。そんな時はうれしさで日頃の節度をなくした飯尾さんが妙に浮き浮きした調子で紀久子や女中たちへ冗談を云いかけた。そして父のあとからおきえさんと並んで歩きながらも着物の柄あいが地味すぎるからもっと派手好みにした方がいい、とか、色がお白いから半襟は紫系統がお似合いだ、とか独りで喋り立てては独りで感心したりした。それが付きまとわれるようなうるささではあったが、おきえさんは寄席といえばへんに飯尾さんへこだわるようになって「お誘いしてもよろしいでしょう」と眼顔で父に頼みこむのだった。そんなことがきっかけでほぐれていって、買物だというてはおきえさんと飯尾さんは揃って出かけることが多くなった。
「おきえさんもやはり苦労をなすったかただけあってよく細かいところへお気がつきなさいますねえ。お小遣いに不自由している
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