父
矢田津世子
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)全《ま》るで
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)はな[#「はな」に傍点]
−−
一
居間の書棚へ置き忘れてきたという父の眼鏡拭きを取りに紀久子が廊下を小走り出すと電話のベルがけたたましく鳴り、受話機を手にすると麻布の姉の声で、昼前にこちらへ来るというのであった。お父様が今お出かけのところだから、と早々に電話を切り、眼鏡拭きを持って玄関へ行くと沓脱ぎの上へ向うむきにステッキを突いて立っていた父は履物か何かのことで女中の福に小言を云うていたが、紀久子の来た気配に手だけをうしろへのべて、
「何をぐずぐずしとる。早くせんか」
と呶鳴った。
いつものように自動車の来ている門のところまで福と二人で見送ると、扉を開けて待っていた運転手へ父は会釈のつもりか、ちょっと頷くようにして乗った。そして紀久子が、
「行ってらっしゃいまし」と声をかけると、父はそれへ頷きもせずステッキの握りへ片肘をのせて心もち前屈みに向う側の窓へ顔をむけたなりで行ってしまった。
父の気難しいのは今はじま
次へ
全40ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
矢田 津世子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング