ったことではない。尤も、母のいた頃は気難しいといっても口に出して女中をなど叱りつけるようなことはなく、いつも何かの不満を眉間の縦皺へたたみこんでいるという風であった。それが、母の亡くなったこの節では気難しい上に癇がたかぶって来て妙にいらいらした素振りさえみえる。お父様もお年を召したせいか気が短かくおなりなすってねえ、などと家のものたちは蔭でひそひそ話しあうのだったが、その実、父のこの頃は年のせいばかりとはいえず、他に何かわけがありそうに誰れも思っている様子だった。
 父の脱ぎすてた常着を紀久子が畳んでいるところへ内玄関に姉の声がして、やがて気さくに女中たちへ話しかけながら茶の間へ入ってきた。今日は子供を置いてきたから長居が出来ない、と前おきをして茶棚をのぞきこみ羊羹のはいった鉢を自分で出しながら、
「飯尾さんは?」ときいた。
 亡くなった母の幼友達で家に永らくいる老婦人のことである。
「母様のお墓詣りに朝早くから出かけなすったの」
「そう。それあよかったこと」
 姉は何故かうすら笑いをした。姉にとっては口数の多い飯尾さんは苦手らしかった。飯尾さんが留守だときいて姉の様子がはずんできた。
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