であった。世間体があるとはいえ、父が籍をいれてやらない心もちもうすら分った気がして紀久子はおきえさんの立場が憫れなものに思われてきたが、ふとこの心を眺めおろしているとりすました自分に気が付いてちょっと厭な気分になった。
 おきえさんの着いた夜は出入りの仕出し屋から料理をとり寄せて内輪な会食ですませた。披露をかねる意味あいからその席へごく近い親戚の人たちをも呼んだら、との話も出たけれど大げさなことは真っ平だ、と父はいつになく声を荒らげるのだった。そのあとで何やら工合わるそうにして座を立つのだが、やがて、陽当りのいい居間の縁ばなにしゃがんで籠のカナリヤを人差指で嚇かすようなことをしている父の屈託のない姿がみうけられたりすると、茶の間の姉と紀久子はつい頬笑みかわすのだった。
 おきえさんを迎えてからの父の気難しさはその性質を変えたようにみえる。癇がたかぶっていらいらしていたのがどこかへ吸いこまれたように消え去って、ただ仕くせになっている眉間の縦皺がのこっているだけである。時に、この縦皺もひとりでにひらいて、めっきり光沢をました頬のあたりに明るい微笑のゆれていることがある。こうした父をみかけた
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