に思われたので紀久子もちょっと頭を下げた。
 皈りの自動車の中で紀久子はとりとめもなくおきえさんのことを考えていた。麻の葉ぐるまが眼さきにちらついて困った。ふと、あれを母がみたらどんなか、と想像してみただけで胸騒ぎがした。母でなくてよかった、こう思って安堵すると急に力の抜けたような気がしてぐったりとなった。

     三

 姉の話によるとおきえさんは生粋の新潟美人で、何んでも古街で左褄をとっていた頃父に落籍《ひか》されたとのことであった。海岸に近い静かな二葉町に家を構えてからは遊んでいても何んだからと娘《こども》たちへ長唄を教えていたが、どうせ退屈しのぎの仕事だったから本気で弟子をとるということをせず、父のいる間は気儘に稽古を休むという風らしかった。
 父が胃潰瘍で新潟の妾宅に永らく臥っていた頃、表むきはリウマチで動けないという母の代りに姉が出向いて十日余りも滞在したことがあった。姉とおきえさんの仲がほぐれていったのはそれかららしい。おきえさんは父について上京すれば何かと手土産を持って姉の家を訪ねるのが慣しになり、姉の方でも母に隠しておきえさんへはあれこれと心づかいをしている模様だ
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