と思いまどった。一刻も早く去ることの方が父の気もちを救うことになりはしまいか。漠然とそんな気がして足を動かしかけると、胸いっぱいに新聞をひろげて読んでいた父が顔だけをこちらへむけて、
「皈ってもよろしい」と云った。このひと言に思いがけず紀久子の心が反撥した。皈ってやるものか。そして、汽車の窓へ近ぢかと立っておきえさんを眺めはじめた。おきえさんはこちらへうしろをみせていた。紫紺色の半襟で縁どられたぬき衣紋のなめらかな襟足がすぐ眼の前にあった。茶縞のお召に羽織は黒の小紋錦紗に藍のぼかし糸をつかった縫紋の背が品よくみえたが、ふと、その紋が家の麻の葉ぐるまだと気付いて紀久子はこみあげてくる屈辱感からさっと顔色を変えた。手をのばしてその紋をひったくってやりたい衝動を感じる。そんな激しい気もちの中で紀久子は新聞に見入っている父の平静な横顔を何かふてぶてしいものに思い、麻の葉ぐるまのおきえと並んだ姿に妙に妬心を煽られていった。
 汽車が動き出すとおきえさんは姿勢をなおすとみせてちらりと紀久子の方をみた。眼が合うと困ったようにハンカチで片頬を抑えて俯向きになったが、その仕草がどうもお辞儀をしているよう
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