前たちも認めてやりなさい、と暗におしつけようとかかっているところがくみとられた。
おきえさんは朝父を送り出してしまうと永いことかかって身だしなみをして、それから、父が夕刻戻ってくるまでの暇な時間を離れの長火鉢のところに坐って呆んやりと庭を眺めていることが多かった。時折り、姉がおきえさんを買物に誘い出すことがある。そんな時はきまって渋ごのみの縞ものに縫紋のある黒の羽織を重ねている。衣紋も深くは落さず、前にみた時よりは庇髪をぐっとひっつめたように結うているので三十八の年よりはずっと老けてみえる。
「どこからみてもあれでは良家の奥様ですからね」
門を出て行くおきえさんのうしろ姿をみ送りながら飯尾さんはこんな厭味を云うのだった。そして紀久子が相手にしないでいると、
「いくら奥様らしくみせようとしたって、もとがもとですからねえ」
と、ひそみ声になってしつっこく紀久子へ話しかけてきた。まるで、心の中に巣食った何ものかに始終じくじくと責め立てられているのだが手足がこれにともなわない、とでもいうようないら立たしさがその様子に感じられる。みかねて紀久子が、
「そんなことお父様にきこえたら大変よ」
と窘めると、すぐに僻んだように黙りこくって、しばらくしてから、
「お母様さえいらっしゃれば……」
などと涙声になるのだった。それをみるのが厭だったので、紀久子は飯尾さんがおきえさんの蔭口を云い出すと、いつも聞いていて聞かない風を装うことに決めていた。
外へ出さえすれば、おきえさんは紀久子へ手土産を持って皈るのが慣しになった。リボンで飾りをつけた奇麗な箱入りのチョコレートだの、朱塗りの手鏡だの、蒔絵の小さな指輪入れなどであった。
「こんな子供だましのようなものを下さるなんて」
と蔭で紀久子はよく小馬鹿にしたそしり笑いをしてみせるのだったが、それももの欲しそうにしている飯尾さんの手前があるからで、その実は、おきえさんの心づかいが何かしらいじらしいものに思われてきて、ふと鏡台の前の手鏡をとりあげてみてはしらずしらずに頬笑みのわいている自分の顔を写してみたりした。
或日いつものように買物から戻ってきたおきえさんが気がねらしく紀久子の部屋をのぞきこんで、
「あの、おひまでしょうか」と声をかけた。「の」の字をゆっくりと引っ張るそのものいいがちょっと甘えかかっているようにきこえる。
窓ぎわで編物をしていた紀久子は「さあどうぞ」と立ちかけて急いできまりのふた目を編んでいる。斜めになった膝から転げた白い毛糸の玉が、入ってきたおきえさんの素足を停めた。足化粧をしているかと思われる艶々とした肌に親指の薄手なそりが何んともいえず美くしい。家の内では冬でも足袋をはかないでいるところをみると、おきえさんはこの足の美くしさを充分に知っていて、これが人眼にふれるのを誇りにしているともみえる。紀久子はおきえさんの素足へちらと眼をやって、そんなことを考えていた。
おきえさんは膝をついて毛糸の玉を拾いあげると「御精が出ますことね」と頬笑みかけながら下座になっている縁のはたへ坐った。姉や兄の前でもおきえさんはいつも下座を選ぶのである。
「ちょっと、御覧になって頂きたいものがありまして」
こう云って下へ置いた包みをほどきにかかった。行きつけの百貨店から届けさせた反物らしい。
「あの、こんな柄お気に召しませんでしょうか」
濃い紫の地に紅葉をちらした錦紗をするするとほどいて自分の膝へかけた。
「前から心がけていたのですけれど、なかなかよい柄がなくて。あの、いつも御親切にして頂いているほんのお礼心なのですから、どうぞ」
それだけを云うのにもぽっと頬を染めて、気おくれからか、張りのあるふたかわ眼を何やら瞬くようにして紀久子をみあげていたが、「それから……」と云い淀んで包みの中から反物を二反とり出した。
「これはわたしの普段着にしたいのですけれど、どちらがよろしいかお決め頂こうと思いまして」
柿渋色の地に小さな緋のあるのと、もうひとつは黒とねずみの細かい横縞であった。どちらも見栄えのしない地味すぎる柄あいなので、もっと派手むきのを選んだら、と勧めると、
「あの、これでも派手なぐらいに思っていますの、これからは出来るだけ地味ななり[#「なり」に傍点]をいたしませんと」
おきえさんは俯向いて、すんなりとした手で徐かに膝を撫でている。いかにも今の言葉を自分へ云いきかせている様である。たどたどしいながら何かしら自分たちへ追いすがろうとするその一生懸命さが不憫になってきた。このひとにしては精いっぱいの事をやっている。それをどうして自分は素直に受けられぬのだろう。おきえさんは俯いてまだ膝を撫でている。それを眺めていると思いもかけず興奮が胸へ湧き上ってきた。これはおきえさんへの愛情だろう
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