娘さんは飛んでもないことを仕出かしとる、立派に妊娠していられたものを堕胎剤を飲んでいるらしいて。これは恐しいことだ。全くもって。誰れか専門のお方に診察してもらわんとな。早くですぞ。早くな……」
老医師は、臆病な鼠のように性急に逃げていった。
大きな金槌で、ガアンと頭のてっぺんをどやされた形だった。
胸の中を真紅な焔が燃えた。眼の前が一様に白っぽい布で覆われた。何も分らない。何も彼もだ……
だが、やがて一条の冷水が彼女の昂奮の中を下っていった。
「兼、兼坊、お前は一体何をやったんだい。おっ母アにみんな云ってみな。な、云ってみな……」
白眼を出した儘、娘は微笑した。
「な、兼、云ってみな。どうして……」
「……アーメンだい。アーメン……」
不意にひどい苦悶の中から、娘は人差指を振りあげて隣室を指した。泣き笑いがその後に続いた。
「……先生かい。兼、アーメンかい」
喉に黒い固りが閊《つか》えた。
「矢張りだ。野郎、矢張りだ。こんな事をして、こんな……」
白く乾いた唇がカサカサ慄えた。老人の眼は火になって輝いた。指が虚空を掴んだ。
「狐だ! 狐だ! 狐だ!」
お松の足が襖《ふす
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