衿足の水々しさ、小指を上げて額の黒い細い縮れっ毛を掻きあげる仕癖までも、まざまざと浮んでくる。
 往還へ出て、二人は肩を並べて歩いた。埃が二人を包んで、さっと乾いた田圃へ流れ去った。田圃からは、鴉が何羽も、あとからあとからと舞い上った。
「先生、なんとはあ、ひでえ風でして」
 頬かむりの男がすれちがった。ちらりと仙太を見て偸み笑いをした。
 仙太は俯向いて歩いていた。
「ひとつ助けると思って、骨折って下さい。決して、御恩は忘れませんでして」
 仙太は何遍も繰りかえした。
 町通りの、古川町への曲り角で、仙太はもう一度同じことを頼んだ。先生は口元で笑った。
「仙太さん、矢っ張り忘れかねるんだな」
「あ、どうしても高と一緒になりたいです」
 仙太は生真面目に応えた。そして、詰め衿を着た先生が帽子に手をあてたままだんだん小さくなって行くのを、陽の翳った寒さの中で、いつまでも見送っていた。

 外は暗く、ひどい風になっていた。
 床屋の店には、近所の人たちが集まって、雑談をしたり将棋をさしたりしていた。親方自身は、黄色く汚れた前垂れをかけたなり、鉈豆煙管を咥えて新聞を読んでいた。にぶい十燭光が
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