取ってね、塩水でよく洗って酢でガブリとやるんです。旨い。実に旨い。一と口で? いやあ、とても一と口でなんか食えやしませんよ……」
身を入れて話すと良人の口調には知らずしらずに国訛りがまじる。
「鮑ですか? 近海ものは御免ですね。まあ沼津あたりのだったら、どうやら我慢もできるですが……、といって、これが沼津で食ったんじゃ味がない。樽に塩漬したのを馬の背に積んで甲府まで運ぶんですよ。富士の裾野をジャンガゴンガ揺られて甲州入りだ。鮑はちょうど食べかげんのこたえられない味ですな。輪島産のも……あの塗物で有名な能登の輪島ですな、あそこの鮑も結構なもんです。鮑の中のお職ですな。外向きは実に堅い。ちょっと歯をあてたぐらいでは、へこまない。ところが噛ってみると実に柔らかなんだ。コリコリと……そのくせ、こいつが舌の上でとろけていく。外柔内剛、いや外剛内柔か。あれが鮑の中の鮑でさ」
良人の話はだんだん熱をおびてくる。聞き手たちもあれこれと口をはさむ。
「その話で一杯やりたくなった」
などと番茶を啜ってみせる老人もいる。
良人の話がはずむ。そして次第に凝っていく。普茶料理が出る。黄檗普茶のその謂われ
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