から入る。黄檗でも殊に天麩羅は良人の得意で、先頃も知人の経営している「栄養と家庭」にも紹介したし、新聞の家庭欄でも述べたことがあった。胡麻油などをつかう並みの天麩羅とちがって黄檗のは古い種油と鼠の糞のようなボトボトの堅いメリケン粉を用いる。この粉を水に溶く段取りになると、良人は手真似で、太い箸で器の向う側からガクガクと引っ掻くような仕草をする。丁寧にかきまわしたのでは粘りが出て、油揚げの特徴のカラリとした出来にならない。黄檗では煮汁も大根おろしも添えない。材料のキノコやエビや果物にはあらかじめ煮味をつけておく。油で揚げて而も油っこくないところに天麩羅の真味がある。どじょうといえば本黒の丸煮、玉子の白味でアクを抜いたわりした[#「わりした」に傍点]でないと食えないという。鶏は去勢した雄の若鶏の鋤焼、鋤金に鶏の脂肪をひいて、肉を焼きながら大根おろしのしたじ[#「したじ」に傍点]で頬張るに限るという。――良人の味覚談はきりがなかった。
 しかし、良人の場合はうまいもの屋へ行ったというわけでもなく、板場の通というわけでもなく、諸国の名物を食べ歩いたというのでもない。ただ、話なのである。味覚へ向
前へ 次へ
全31ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
矢田 津世子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング