ける良人の記憶力と想像力は非常なもので、たとえば何処かで聞きかじった話だの雑誌や書物などで眼についたのをいつまでも忘れずにいて、折りにふれ、これに想像の翼を与えるのである。そうした良人の味覚はどこででもくりひろげられる。出勤時の身じろぎも出来ない電車の中で人と人の肩の隙間を流れる窓外の新緑を見遣りながら、ウコギやウルシの若葉のおひたし、山蕗の胡麻よごしを思い描く。それから初風炉の茶湯懐石の次第にまで深入りする。汁、向う付、椀、焼物……と順次に六月の粋を味わいながら、良人の満足感は絶頂に達する。全く不思議な話ではあるが、この混み合った電車の皿数は、青紫蘇は眼にしみるようで、小鱸は蓋を取るとサラリと白い湯気が立つという風で、生きのままあとあとと並べられるのである。
「あなたって変ね。ほんとうに召し上りもしないでお料理のことを御存じだなんて……食べなけあ詰まらないのに」
 おかしがる清子へ良人は、
「想像してたほうがよっぽど楽しいよ。どんなものでも食べられるしね」
 笑いながら言う。それもそうかも知れないと清子は食通として知られている良人に神秘めいたものを感じて、やはり尊敬していた。

 そ
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