の晩、姑《はは》と二人っきりのささやかな夕餉をすませると清子は、納い忘れた手鏡を柱のところに立てて姑の髪を結ってやった。明朝の汽車が早いので、性急な年寄りは今から手廻しをよくしておかないと気が気ではないらしい。姑の髪は手間がとれた。結ってやるのが慣わしになっていたけれど、もう髪が薄くなっているうえに若い頃の髷のたたりで真ん中に大きな禿があるので、みのかもじ[#「みのかもじ」に傍点]を入れて結いあげるのに一と骨だった。七十三の姑にもまだ洒落気があるのか、恰好よく結いあがったときなど合せ鏡をして喜んだ。
「西尾さん遅いことなあ。また酒コで足コとられたかな」
 残った荷物の世話をしてくれるという「栄養と家庭」記者の西尾を姑は先程から待っていた。亡夫の友人で、清子たちがこの東京で頼る唯一人の同郷人だった。
「あの棚コの埃《ごみ》よく払っておけせえ」
 西尾へ記念に置いて行く本棚のことだった。最近、晩世帯をもつことになった西尾が、すぐとこの家へ移り住むことになっている。長年住み馴染んだこの家を引き上げるのは姑にも清子にも辛いことだけれど、それかといって梁の上の良人の霊が帰らぬ旅路へのぼってしまっ
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