菜屋から買ってきたものは良人が好まないので清子は前の晩からいろいろと頭を悩ませる。金ピラ牛蒡にしたり、妙り豆腐にしたり、前の晩自分の分をこっそり取りのけておいたコロッケなどを詰めてやったりする。時には良人も役所で饂飩をとって我れと我が身に奢ってやったが、「二杯も食われちゃ間尺に合わない」と饂飩好きな自分の口に厭味を言って、やっぱり塩鮭入りの弁当を持参した。
 この弁当をつかうときが良人にとっての一番の楽しみだった。炭不足の話が出る。酒が手に入らぬ話が出る。菓子を買うのに行列の中に入って一時間以上も立ちん棒をした話が出る。けれども物資不足からくるこの頃の切り詰めた生活の簡易さは、この役所に勤めているほどの人たちには今更こと新しく取り立てるまでもなく、結局、慣れた手頃な暮しなのだった。
 向い側の寄留係りはよく飽きもしないで煮豆を詰めてくる男だったが、女学校へ行っている娘があって、それが弁当の世話をするらしい。思いがけず玉子焼が入っているときなど、風《ふう》のあがらない薄髭をにやにやさせて蓋に一と切れのせて、こっちへも勧めてよこした。食べ物の話がはずんだ。鯨の赤肉の栄養価値を説くものがあっ
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