なく、清子は姑を寝ませた。朝の早い姑のことだし、それにもう十時が過ぎていた。清子は手廻りの品々をズックの鞄に詰めながら、この家も今夜一と晩の名残りかと思うと、床に入りがたい思いがした。古びたこの家の、何がなし手垢の染みたような感じが、哀しかった。
 清子は立って外し忘れた柱暦を一枚めくった。それからまた立って行って、玄関にたった一つ残っている白いセトモノの帽子かけにさわってみた。どこにも良人の俤があった。清子はその良人の背を軽くゆすぶって、
「もう、お別れよ、お別れよ」
 と促した。良人の俤はやや猫背の、右の怒り肩をじっとしたまんま、いつまでもこの家に執心しているようにみえた。
 ふと気づいて清子は床の間の、さっき西尾が置いて行った雑誌を手に取った。何んとなく良人の文章にふれたくない心で頁をめくった。家庭料理や小噺やユーモア小説などの盛り沢山な雑誌である。清子は「栄養漫才」というのを読んで、思わずクスッと笑いかけた。とうとう良人の文章にぶつかったとき、何か構える気がしどきっ[#「どきっ」に傍点]とした。
 ――今でも忘れられないのは初夏の広島の「白魚のおどり食い」だ。朱塗りの器、といっ
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