懐中鏡を持ち上げて頸を延べたり縮めたりして合せ鏡した。薄い髪にかくれた禿の様子を「雲かくれにし夜半の月かな」だと良人がからかってから、姑も清子もお月さんお月さんで通すようになった。
 結い上げて油手を洗いに清子が流し元に下りたところへ、西尾がいつものせっかちな恰好で入ってきた。
「どうも遅くなっちまって……荷物は? ああ、あとは僕がやります、やります」
 靴を脱ぐなり、そこいらに散らかった荷物に手をかけはじめたが、姑に引き止められて、お茶にした。
「今日もね、社で鈴木君の話が出ましてね、急性肺炎で命を落すなんて似合わない。もう少し、こう気のきいた病気ですね、胃腸に縁故のある……何んとかこう食通らしい往生の仕方がありそうなもんだってね……」
 西尾は喉を鳴らして茶を飲み、顎の筋肉をビクビク動かして菓子鉢の落雁を口卑しく平げる。
「これも運だと思ってあきらめているすてえ。なあ、西尾さん、うちの倅あ、あの通り食い意地張ってたもん、あの世さ行っても腹コ痛くなるだけ御馳走食べているこったべしちえ。こんど生れてくるとき、土産コうんと[#「うんと」に傍点]持ってきてもらわねえば、間尺にあわねえすてえ
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