も美術学院刺繍科講師、刺繍組合理事の肩書に似合わしいけれども、その生活は、このりゅう[#「りゅう」に傍点]とした構えほどでもなく、噂にきくと、伝通院近くの、まだ路地奥住いで、帯安あたりの店《たな》仕事に精を出しては、どうやら凌げるほどだということであった。その帯安の番頭の娘を娶っているときいているが、若年にかかわらずその処世の才は業界でも目ぼしいもので、この葛岡氏なら、刺繍塾の経営の才腕も相当であろうと、わたくしには肯けた。
 銀三は手まめに茶を注ぎまわり菓子を勧める。葛岡氏が厠へ立つのにも跟いて行って、手水をかけてやったりする。
 話しが、いつか、故人のことになった。
 今は額になって師匠のうしろにかかっている鷹の刺繍を、弟子たちは口々に賞め讃えた。師匠も振り返って、しみじみと眺められた。
「尾久へ行ってから葉書を寄越してくれたことがあったが、……どうも、段々出ぎらいになったらしい」
 師匠は、いつもの静かな声で、こう言われた。そして、眼鏡の具合をなおして、また、額に視入った。
「いつだったか、……そうそう、この春のお彼岸のお中日の日でしたよ。お宅で、おはぎ[#「おはぎ」に傍点]を御
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