。生憎、龍子が稽古をつけているような時は、奥の茶の間に片手枕で寝ころんだり、勝手に茶を淹れて喫んだりしながら、寿女を相手に冗談口をきいたりする。また、時には、なぐさみにピアノも敲けば、コーラスに加わって興じたりする。龍子のことを、この男は「先生」と呼んでいるが、弟子たちの口真似をしているというよりも、これには揶揄の調子が含まれていた。
中尾通章は音楽雑誌の記者くずれで、いまは「便利屋」のようなことをやっている。つまり、人の使い走りをしたり、ブローカーのようなことをしたり、音楽会の世話をやいたりしているうちに、いつしか「おっと、これは便利だ」型の男になり澄ましていた。
人の私生活の鍵をまかされる場合が多いから、この男は、心得顔に土足で何処へでも入り込む。それを自身に与えられた当然の役得としているし、まかせた人々は「困った奴だ」と愚痴をいいながらも諦めて、それを大眼にみていた。
さるピアニストが或るピアノ調律師へ金を融通したところが、期日をすぎても返さぬばかりか、日を重ねるにつれてだんだん埒があかなくなり、そのうち行方さえ晦ましてしまった。引きうけた中尾通章は、どう探し出したか、程な
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