。それは入門する際の素質ということよりも、家柄格式ということが第一条件におかれているからで、女史の説によると、折角の素質の芽が途中で萎えてしまうのは、それを育てる土が貧しいという場合が多い。音楽は他の芸術と違って、この土が豊かでありたいということを一つの条件としたいし、それゆえにまた、この芽が健やかに肥えふとっていくとも言われる。
家柄格式というのも、つまりは産をさしての言葉であるし、弟子たちは、それを尤もな事として聞いた。そして、女史の弟子達は、どれも資産家の子女としてきこえていた。
弟子を二十人あまりかかえているうえに、学校の講師をも兼ね、尚そのうえに若艸会では春秋の二季に音楽会を催すことが例となっているから、奥住女史の生活はずいぶんと多忙であった。
この物語のずっと後に、わたくしは知人の娘にせがまれて、若艸会春季音楽会の切符を買わされた。音楽会のたびに、弟子達は、切符を一人宛二三十枚分も受もたされるということであった。わたくしは遅れて会場に入った。最後のコーラスがもう半ばをすぎて、派手やかに着飾った令嬢たちが舞台におし並び、楽器店や弟子たちの父兄達から奥住女史に贈られた花籠
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