師、昭英音楽学校講師、若艸会主宰。日本音楽学院本科声楽部卒業。一九三二年独逸留学、三四年帰朝、目下ステージを去って教授に専心。「南独紀行」「私の観た独逸楽壇」の著あり。
わたくしは未だ奥住女史のステージの声に接したことがない。知人たちの噂によると、その歌いぶりは、稍《やや》堅実を欠いて奔放に流れがちだという。難曲といわれているものをも易々と歌いこなす度胸には愕かされるが、奥住龍子の一種の人気は、このステージ度胸で煙にまくところらしいともいう。
わたくしはレコードを通してその歌を聴いた記憶があるけれど、もう、ずいぶんと前のことで、その歌いぶりも歌曲がなんだったやらも憶えていない。そういえば、奥住女史が何処かのレコード会社の専属だということもきいているから、吹き込んだものも多分にあるに違いない。
せんだって、週刊雑誌のゴシップ欄に、写真入りで、奥住女史のことが出ていたけれど、若い燕と相携えて、再度の渡独、というような見出しがついていた。
わたくしの知人の娘で、早くから奥住女史に師事しているひとがあって、よく噂をきかされるが、女史の門に入るのは非常に難しいと評判になっているようである
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