、こんなことを言われるたびに、いつも戸惑いしてしまう。そして、だんだん笑わないで、考え込むようになった。
或る日、地震があって、電球が僅か揺れたぐらいでやんでしまったが、咄嗟に、寿女も銀三も座を立ちかけた。胡粉で下絵から布地に絵を写していた連之助だけは、素知らぬ顔で続けている。微かな揺れかえしがきた時、中腰になっていた寿女は大袈裟に蹣跚《よろ》けて隣りの枠台に手をつき、胡粉皿がひっくりかえった。写しかけの綴れの布に白い絵具がべっとりと流れ、連之助は、呆然と顔を上げて、寿女を見た。
また、或る日、銀三といつもの冗談口をききあっていた寿女が、大きな声を上げて笑い出すと、連之助が顔を上げて、
「少し静かにして下さい」
と怒鳴った。
「こちらはこちら、そちらはそちらよ。おうるさかったら、どうぞ塀でもまわして下さいな、お隣りさん」
寿女は取り澄まして、持ち針をちょいちょいと髪へなすりつけながら酬いた。
「何を言う」
と、連之助はむっとして針を続けたが、不意に、「あっ!」と低く言って、手をひいた。左の人差指の先に血が玉になっている。刺しを酷くしたらしい。咄嗟に、寿女はその手をひったくって
前へ
次へ
全69ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
矢田 津世子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング