みていられる。飛鳥天平のころには、このような生地の類例がなく、これが現存する断裂の大部をしめているとみるとき、飛鳥時代本来の分は余程縮少される。繍法は平ざし、まといつきざし、まといざし、からみ繍などで、色糸のとりあわせは巧妙をきわめ、紫の地に黄、紅、臙脂、紫、藍、緑を主調とする繍が施されて、その彩色の華麗は例えようもない。繍帳下部のほうに、法隆寺金堂や玉虫厨子を思わせる様式の鐘楼があって、この中に緑の衣に紅い袈裟をつけた僧侶がいる。両の手に撞木をもって、いまにも鐘をつかんとする姿態を繍した僅か三寸にみたぬ図ではあるけれども、凝っと眸をさだめると、この僧侶の生動しているさまが見える。――先生のこの言葉からわたくしは、さながらその場にある心地して、微妙に生動している僧侶の姿が目まえにありありと見えるようであった。わたくしの心はまた先生の眼を藉りて、いまは繍糸も落ちて黄褐変した台ぎれのみえているところや、下絵の墨絵の線がまざまざとみえているあたりの断裂を前にして、過ぎ来し方を偲び今さらのように飛鳥芸術の豪華をながめる。ふと、この繍帳の中から読経の声がつぶつぶときこえて、ただ、ひたむきに繍の針
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