、高麗加世溢《こまのかせい》、漢奴加己利《あやのぬかこり》を、尚|椋部秦久麻《くらべのはたのくま》をその令者として諸采女たちに繍を命じ給うた。このことは、ずっと以前、知人宅で手にしたことのある天保十二年版の観古雑帖にもみえていたような記憶がある。ここに繍をなした采女たちとは、後宮に近習し上の寵を蒙った婦人たちをさしているのであろう。その下絵をかいた絵師はいずれも一世の逸材として伝わっているけれども、直接の工作者である采女たちは、その名すら遺っておらぬときく。
 わたくしは尚二三書物を繙いてみたが、どこにも采女たちの名は見出されなかった。
 先生は染織文様のみちに明くいられるので現存の繍帳断裂の生地や繍糸についての考察にはとりわけ詳しいお話があった。断裂の生地は仔細にこれをしらべると凡そ綾織、絹縮《しじら》ふうの羅、平織、文羅などであって、このうち紫綾、絹縮ふうの羅の部分が最も多く、色めは濃淡多少の差はあるけれども紫地が大部をしめている。この絹縮ふうの羅について、先生は種々の方面から考証されていられたが、当時これが台ぎれに使用されたというよりは後世になって大破を修補したおり用いた生地だと
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