婦への気兼ね心からで、後添えだった寿女の母親は、腹ちがいのこの息子夫婦へは何かと引け目さを感じていた。
 一家は尾久に住まっていて、塗料工場をもち相当手広く商売をしていたが、父親が亡くなると、やがて、親戚の者たちのはからいで、母娘《おやこ》は、池ノ端数寄屋町の、ちょうど、造作が入ったばかりの小店を借り受けて、荒物屋をはじめた。寿女が十七の時であった。
 暮しのほうの足し前は、尾久の家から届けるようにと親戚の者たちのまえで話は決まったが、実行したのは初めの半年ばかりの間のことで、だんだん不景気を口実に途絶えがちになり、そのうちいつか歇んでしまった。
 荒物の売上げだけでは凌げなかったから、仕立物処と小さな看板を出して、母娘のものは賃仕事に精を出した。母親のお針上手は知れ渡って、湯島花街《ゆしま》あたりからの誂えなどもひっきりなしにあるようになった。
 母親の生き甲斐は寿女ひとりにかかっていた。不自由な姿の、いっ時も心から離れたことは無かった。母親は不具の子として寿女を扱ったことは無かった。決して、不具の子として劬わったり憫れんだりしたことは無かった。並の子供へ向けるのと同じように、使い走
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