めをして、間もなく帰ってしまうと、師匠はこう言われた。
「この房を仕かけて亡くなったのだが、……裏にまだ針がついている」
 師匠は額を引き寄せて、うしろの止め板をはずして見せて下さった。ちょうど仕かけた房のところから三寸ばかりの緋の糸が下っていて、その先に、針は銀紙に幾重にも包まれて、なおその上を糸で絡らんであった。
「折角のものを錆びさせるといかんからな」
 師匠は面映ゆげにこう言うて、銀紙の針をつまんだりしていられたが、わたくしの眼には、その針を手にしてひたむきに屈みこんでいる寿女さんの姿ばかりが迫るのであった。

 種村の寿女《すめ》さんは佝僂《せむし》であった。母親のはなしに、寿女が十四の時、腰が痛い痛いと喧しく愬えるので、近くの灸点所へ連れていって、どうやら痛みをとめてもらったものの、それから間もなく腰が抜けるようだと喚き出されて、これはどうも下《しも》の患いらしいと独り合点して、それからは人目を憚り、長い間漢方医がよいをさせていたという。脊髄のほうを冒されて手おくれになっていると分ったのは、もう余程のちのことだったという。専門の医者にも診せず姑息な手当をしていたのも、跡継夫
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