麗さをその特徴としてきているこれまでの刺繍の道を、それゆえ、師匠の歩みは踏み破ったとみなければなるまい。繍のうえでは、写実を象徴に高めたところに至上のものが生まれる、とは師匠の言葉で、その象徴も極致に達すると気韻微妙な文様としての和をみせる、「天寿国繍帳」はこの極みに達していると語られる。
また、師匠は、よく人が刺繍の出来ばえを評して「まるで絵のようだ」とか、「絵画にまさる」とか言うが、繍は絵と全くその性を異にするものであるし、これを比較対照してみるのは可笑しな話しである。「絵のようにみせる」とは、繍の上でもこれまで言われてきたところであるが、これは、繍そのものの質を弁えぬも甚だしい、繍は絵とちがって、一本一本の糸が微妙繊細な立体感をもって、これが緻密に綾なすところに妙味がある。――と、語られたことがあった。
わたくしの足はいつしか池を半周して揚出《あげだ》しの横にかかっていた。父が世に在った頃、よく加福の師匠に案内されてこの揚出しだの、山下の鶴のいる牛肉屋だので夕飯の馳走にあずかったものであつた。揚出しの名物で、生揚げ豆腐におろしをそえ、たっぷりとしたじ[#「したじ」に傍点]のか
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