である。
 横になつてから、又どこへ行かうかと考へた。そして声を出して云つた。「なに。真の恋愛をしてゐる以上はどうでもなる。」
 時計がこち/\と鳴つてゐる。窓の下の往来を馬車が通つて、窓硝子に響く。時計は十二時まで打つて草臥《くたび》れてゐると見えて、不性らしく一時を打つた。それ以上は打つ事が出来ないのである。
 少年はその音を遠くに聞くやうな心持で、又さつきの「真の恋愛をしてゐる以上は」と云ふ詞を口の内で繰り返した。
 その内夜が明け掛つた。
 フリツツは床の上で寒けがして、「己はもうアンナは厭になつた」と思つてゐる。なんだか頭がひどく重い。「兎に角アンナは厭だ。あれが真面目だらうか。二つ三つ背中を打《ぶ》たれたからと云つて、逃げ出すなんて。それにどこへ行くといふのだらう。」それからアンナが自分に行く先を話した事でもあるやうに、その土地を思ひ出さうとして見た。「どうも分からない。それに己はどうだ。何もかも棄てゝしまはなくてはならなくなる。両親も棄てる。何もかも棄てる。そして未来はどうなるのだ。馬鹿げ切つてゐる。アンナ奴。ひどい女だ。そんな事を言ふなら、打つて遣つても好い。本当にそん
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