なかったんだろうよ。(立ち上る。)
モデル。(また悲し気になる。)そうでございますね。きのうまでは夢にも心付かない事があるものでございますね。
画家。そうさ。人生はそうしたものだ。そこが人生の美しい処なのだよ。思いがけない処がなあ。(間。)
モデル。わたしのお父《とっ》さんがよくそう云《い》いましたっけ。思いかけずに死ぬるのが一番美しい死ですって。
画家。(娘の顔を見る。)何んだってそんな事を思い出したのだ。
モデル。つい思い出しましたの。
画家。お前にはそんな暗黒面でない、光明面の思い出はないのかい。
モデル。(何か言わんとして止《や》め、詞急に。)しかしわたしはもう。
画家。もう行くのかい。またおいでよ。
モデル。(二三歩|行《ゆ》きかかりて戻る。)もう当分伺いませんわ。
画家。なぜ。
モデル。でも当分御一しょの。(間。)あなたのお為事はだめでしょう。
画家。(娘の方を見ずに窓の処に行《ゆ》く。)うむ。そりゃあお前の言う通りかも知れない。(突然|活溌《かっぱつ》になりて二三歩前の方へ出《い》で、独言《ひとりごと》。)そのくせゆうべヘレエネと話しているうちに直《すぐ》にでもかき始めら
前へ
次へ
全81ページ中37ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 林太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング