蕎麦というが、もうあの辺では蕎麦らしい蕎麦は食えなくなっています。長野、松本など勿論駄目です。かろうじて蕎麦らしい蕎麦を食い得るのは、今では僅かに一茶の柏原付近ぐらいのものでありましょう。また日本料理研究会々長の医学博士、竹内先生は次のような話をされています。
浜町花やしきに「吉田」という蕎麦屋があります。そこは昔からなかなか売ったもので、このうちの「茶蕎麦」はまず天下一品でありました。ところがひょっこり「コロッケー蕎麦」という妙なものを売り出し始めた、ああいけないなァと思っているうちに、もう駄目でありました。蕎麦はぐんぐん邪道へ落ちてお話にならなくなってしまいました。下谷池の端の蓮玉庵もなかなか旨いもので、十五、六年前は蕎麦食いたちは東京第一の折紙をつけ、私なども毎日のように通ったものですが、これも今はいけなくなり、蕎麦そのものの味と下地の味とがどうもぴったりと来ないようになったのであります。
神田の「やぶ蕎麦」もいいが、ちと下地の味が重い上に、器物に不満のところがあります。私の一番いいのは、月並だがやはり、麻布永坂の「更科」で、あのうちの「更科蕎麦」には何ともいえない風味があり
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