して、二、三日で作って頂き早速実行いたしました。最初はどうしても物足らぬところがあって、信州の人達の助言によって改良したところ、蕎麦だけで、これはまた案外どころではない、とても旨いものができるようになったのであります。
道具も簡単であり調理も楽にでき、しかも北大栄の倉庫には昨年(七年)の収穫した蕎麦が五十石もあったので、製粉のできる範囲において「手おし蕎麦」の煮込みに舌鼓を打とうと、一日一回は朝食といわず夕食といわず、煮込み蕎麦で結構いけます。東京辺で生粋の「蕎麦の味」を売り出したらどうかとも思う位であります。東京有数な藪忠ではむしろ道楽商売になっていて、東京蕎麦の真の風味を常に楽しむことは不可能といってよい。半分の「つなぎ」を入れているのはまだ正直な方で、近来は小麦粉に色をつけて胡魔化しているのが多いのであります。
これというのも技術が非常に難しくて、これだけの職人を養っていては「蕎麦屋」が立ってゆかぬために、漸次「今様の蕎麦」がはびこり出したのではあるまいかと思います。
例の食道楽の大谷光瑞氏も、真の「蕎麦」の風味は太くして切れ切れのでなくては本当でないとまで負おしみをいって
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