窓の外に夜番の武人が持つ「たいまつ」の細長いほのおが二つ前後してかなりゆるゆるよぎって行くのが見える。
思いに沈んだ様に王は話す。
老人は王の体を静かに見上げ見下しして居る。
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王  わしはそなたが、わし位の年頃であった時の世の中の事は恥かしい位に何にも存じて居らぬのだ。
 覚えて居るだけでよいのじゃわしに話して呉れ。
老  古い巻物と同じにさぞ、とぎれとぎれでござりましょうがのう。
 私が貴方様を「和子《わこ》」とお呼び申して居った時より尚ずんと前の事でござりまするのじゃから世の中は今とは不思議なほど変って居りましての、今よりずんとわかり易う世の中の事のすべてが出来て居りましたじゃ。
 男も三つに分ければすべてがすみまして一つはやたらに「けんか」がすきでまるで「けんか犬」の様に人間さえ見ればかみついたり吠えついたりする御仁と次には「名誉」に寝るとから起きるとまでうなされるお人と、恋を恋して居るお人とでの。
「けんか犬」の様なお人は甲冑と武器と馬の手入にきも入りして甲冑の裏に「のみ」ほどの曇りがある、馬の毛並が一本乱れて居るがお気に入らなんで御家来衆を試斬りになされたもので、尊がられるお館毎の御台所をほっつきめぐってごみだらけの汗みどろになってござったのは名誉にうなされるお仁でござりましたのじゃ。
 御身なりと楽器と花束についやすお金で身代限りまでなされて文を送った婦人の門にパンのかけらをほおばりなされたり、歌う声をよくしようとて滝壺に座って歌ってござるうちに目がまわってそのままどこに行かれたか先のわからぬ様になられたも、フトもれきいた歌声とチラとかい間見た後姿に命がけでしのんで行かしゃったら思いもかけぬ御年よりで片目で菊石だらけでござったのに驚き様があまりはげしゅうてそのままはかなくなって仕舞うたお人は皆恋を恋してやりそこなったお仁なのでの。
 その頃は人間の用う言葉だけで話は通じ赤い色は赤い色で間違いなく見分けのついたものでござりまするのじゃ。
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この時小姓一人巻いた書いたものを持って来る。少し消えかかった薪をそえ燈心をとりかえ注意深く四方を見てから退く。
王は静かに巻物を開く。一寸目を通すとすぐ険しい目差しをして読むのをやめる。
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老人 いずこからでござりますの、めったに見ぬ紋章でござりますのう。が、もう幾度も見たので忘れて居るのかもしれませぬが。
王  何! わしの家来のフランコニア公からよこいたのじゃ。
老人 何と申し越してござりますの?
王  下らん事じゃ、人間の申す事を申しよこいたまでの事なのだから。そなたの様にもう年を取ったものはあまり人間らしい人間の申す事は聞かなんだ方がよいのじゃ。
老人 わたくしの様に年取ったものは人々が十怒る所は精いっぱい四つ位ほかよう怒りませなんだ、そのかわりうれしい事もたのしい事も同じほどの。
王  わしもじゃ、わしはあまり下らぬ事をききすぎたのでがさがさとまるで一日中流シ元で洗いものをする水仕女《みずしめ》の手の甲の様になった心を持って居るのじゃ。
老人 したがのう、貴方様。尊い身分の人にはわからぬ事でござりまするが、貧しい一年中一枚の着物をまとって人の門に物乞いするのを恥かしいと思う処が[#「が」に「(ママ)」の注記]なりわいにして居る下賤なものどもは母親の胎から鳴きながら生れて三年も立てば、いじけた、かたくなな心を持つと申しますのじゃほどに貴方様が下らぬ事をききすぎなされた事位はまだのう徳な事でござりまするじゃ。
 聞きたがって居るものにはおきかせなれるものでござります。
王  下手な文句を書《か》い連ねた腹立たしく拙い手紙ほど紙数は多いものじゃが、まあ、ざっとかいつまんで申せばの。
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貴方は法王から破門の宣告を授けられた。
法王の申した事もござるし又私としても死するより恥な破門をうけた王の命令を奉ずるのは神の御名を汚す事になるから同じ意見のものと皆かたらって命令は奉ぜぬ事に致した。
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 と申すのじゃ。
 叛逆《むほん》を起すにわざわざ知らせて寄こいたのじゃ。
老人 妙なものでござりまするの。
 まだ世の中には、けんかずきのけんか犬が沢山ござるのでござりますのう。
王  けんか犬は世が滅びるまで絶える事なくあるものじゃ。
 何――叛きたいものは勝手に逆くのがよいのじゃ。
 若気の至りで家出した遊び者の若者は、じきに涙をこぼしながら故郷に立ち戻るものじゃと昔からきまって居る。
 又わしはどんなにもつれた糸でも手際良くほごす力を
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